本の蜜月

本のことを書きます。

その日のまえに/重松清 命を考え、心温まり、泣ける連作短編集

僕たちはいつも手をつないで歩いていた。生活に余裕はなく、将来の展望もほとんど見えていなかったけれど、僕たちはまだ若かった。喧嘩をしても、仲直りする時間はいくらでもあった。

おい、あと十八年たったら、おまえは手をつなぐ相手をうしなってしまうんだぞ―—。

まんまるな月がそう教えてくれたら、あの頃の僕はどうしていただろう。

 

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あらすじ・紹介

大切な誰かの死と、大切な、かけがえのない日常を生きることを描く連作短編集。高齢の義祖母を見舞い、難病のクラスメイトを見舞った過去を思い出す「ひこうき雲」。連れ添いを亡くした女性教師と問題を抱えた元教え子の「朝日のあたる家」。余命三ヶ月の宣告を受けた男が事故のあった海を訪れる「潮騒」。素直になれない高校生の息子と病気を抱えた母の「ヒア・カムズ・ザ・サン」。そして、病に侵された妻を見送る夫と子供たちを描く三部作「その日のまえに」「その日」「その日のあとに」。切なくも優しい物語たち。

 

感想など

どうしようもなく泣いてしまう本。泣ける泣けると聞いて挑むように読んだけど駄目だった。特に「その日」三部作はほろり、どころではなく号泣してしまった。死がテーマではあるがそれほど暗くなく、どれも優しさのある良いお話。前四編はばらばらの物語かと思ったが、「その日」三部作でそれぞれのその後を窺い知ることができ、よりいっそう切なくなった。「朝日のあたる家」の前向きにひたむきに生きる強さ、「その日のまえに」の二人の睦まじさと切なさが特に心に残った。

死を考えることは、生を考えることだと思う。死んでしまった人、死んでしまう誰か、死んでしまう自分を考えると不思議と背筋が伸びる。「朝日のあたる家」のぷくさんのように胸を張りたくなったり、「ヒア・カムズ・ザ・サン」のトシくんのように素直になりたくなったりする。

全ての人に「その日」がある。明日かもしれないし、一か月後、一年後、十年後、もっとずっと先のいつかかもしれないし、もしかしたら今生きている今日がその日なのかもしれない。この本のいくつかの作品のように、病気になって少しずつ近づいてくるその日を意識するかもしれないし、事故や急病で気がつく間もなくその日を迎えてしまうかもしれない。誰もその日から逃げられない。けれどその日を恐れるばかりでなく、いつかその日が来たときに笑って胸を張れるように生きたい。そんな気持ちにさせてくれる本だった。

もっと歳を重ねてから読み返したら、きっと感情移入する人や箇所が変わってくると思う。どう変化するかは楽しみでもあり、考えると切なくもある。

 

迷路館の殺人/綾辻行人 閉ざされた迷路の館の連続殺人、その驚きの真相

反響する自分自身の靴音に追われるように、足早になる。南へ戻る直線の突き当たりでまた立ち止まり、耳を澄ます。——静寂。

どうしても、何者かが今この同じ迷路の中にいるような感覚が消えないのだった。自分が歩くとその者も歩き出す。自分が立ち止まるとその者も立ち止まる……。

 

 

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あらすじ・紹介

 夏風邪で寝込んでいた島田に一冊の本が届く。タイトルは『迷路館の殺人』、作者は鹿谷門実。実際に起きた殺人事件を基にした小説のようだ。島田は昨年起こったその事件を知っており、作者もよく知る人物だ。お手並み拝見とさっそく読み始める。

◇ ◇ ◇

編集者の宇多山は妻・桂子と共に丹後半島の迷路館へと向かう。その名の通り大きな迷路を備えた館には推理小説の大家である宮垣葉太郎が住んでおり、彼の還暦を祝う誕生日パーティーに招待されているのだ。道中、車の故障で立ち往生していた招待客の島田という男と出会い、同行する。彼は無類のミステリ好きで、迷路館の建築家にも興味があるという。館には宇多山夫妻と島田の他にも、評論家の鮫島、宮垣の弟子である四人の推理作家が招かれていた。しかし全員が揃い、定刻を過ぎても宮垣は姿を見せない。訝しむ客たちに、秘書の井関から驚愕の事実が告げられる。

宮垣の命により、閉ざされた館で莫大な遺産を賭けた競作に挑むこととなった作家たち。その裏では恐ろしい惨劇が幕を開けようとしていた。

 

この本の思い出

この『迷路館の殺人』は、記憶にある限り私が初めて読んだ大人向け小説だ。図書館の児童書コーナーでシャーロックホームズシリーズや赤川次郎なんかのミステリーをたくさん読んでいた頃だった。いつものようにジュブナイルを抱えてカウンターに向かい、すぐ横の返却カートに置かれていたこの本を見つけた。「殺人」ってあるから、これもミステリーだ!とよく考えずに一緒に借りた。当時の詳細な感想は残念ながら覚えていないけれど、児童書に慣れていたところに古い文庫だったから随分字が小さく感じた記憶がある。あと「言う」を「云う」って書くのかっこいい!と思った気がする。ともあれこれが気に入って他の館シリーズも読み、そこから大人向けの棚にも出向くようになった。私の読書遍歴の大事な一冊。

 

感想など

とにかく館のインパクトが大きい作品。平面図のど真ん中が大きな迷路で、どこからどこへ行くにも迷路をくねくねと辿っていかなければならない。こんな家あってたまるか!という気持ちと、でもあったら面白そうだなという気持ちがある。住むのは絶対いやだけど、似たような館があったり再現されたりしたらぜひ行ってみたい。

この迷路がもちろん重要なポイントになっていて、平面図の時点ですでにあちこちトリックの種が蒔かれている。なんども平面図のページを見返してなるほどなるほどとなった。十角館や水車館のときより「迷路ならでは」という感じがあってよかったと思う。そしてシリーズも3作目になり、そろそろ中村青司らしさ、島田潔らしさもはっきりしてくる。

作中作の構造も面白い。綾辻行人が書いた『迷路館の殺人』の中に、鹿谷門実が書いた『迷路館の殺人』が丸ごと入った形になっていて、扉や奥付もちゃんとある。こういう変わった作りこみは大好きなのだが、感想を見ているとあとがきや奥付に混乱する人もいるようだ。作中作の中に登場人物が書いた小説が出てきたりもして、つまり作中作中作ということになる。楽しい。

二重になった謎が終盤怒涛の勢いで解決してくる。内容が詰まっている割に長くなく読みやすいが、事件が忙しない感じがするのでもっとページを割いてもいい作品かもしれないと思った。

 

ヒトごろし/京極夏彦 人を殺したい、異端の土方歳三小説

歳三の眼の中で、夜空に噴き上がる火の粉が青空に散じる血飛沫に変じた。

姉と見た。

初めて人が死ぬのを見た、あの日からずっと——。

――俺は人殺しだ。

 

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あらすじ・紹介

 幼き日に見た、青空に上がる真っ赤な血柱。その光景に魅せられて、土方歳三は人を殺したいと強く思うようになった。武士になれば刀を持てる、人を殺せる。ただ一つの目的のために冷静な眼で状況を見通し、人を動かし、組織を作り上げる。佐幕だの攘夷だのに興味はなく、同志を同志とも思わない。浪士組として上洛し、芹澤暗殺、池田屋事件、隊内での粛清の嵐、そして戊辰戦争へ……。文字通り血塗られた道を行く土方歳三の一生を描く。

 
感想など

かなり上級者向けな土方歳三小説。ただひたすら人を殺すことだけを追い求める人外(にんがい)・土方歳三の生涯をたどる。単行本1000ページ超え、文庫で上下とも1000円越えの大作。分厚さがさすが京極夏彦!って感じだ。

この作品で描かれる土方は完全に狂人で、仲間想いの土方や士道を重んじる土方は全く存在しない。近藤勇は看板として担ぎ上げただけ、沖田総司は土方同様の人外でドブネズミ呼ばわり、その他の同志に対しても無能ばかりと蔑み、内心では殺し方を考えていたりする。かなり思い切ったキャラ付けの人物が多く、土方が色んな人を馬鹿だ無能だとボロクソ言うので、幕末に推しがいる人は注意が必要。

土方は自らを人外と自覚し外道な行いを繰り返すが、考えなしに殺しまわることはしない。どうすれば罪に問われずに相手を殺せるか策略を巡らし手を回して、計画通りに殺すのである。一貫した信念を持ち、物事を冷静に見て思考を積み重ね、機を見て大胆な行動に出る。最終的な目標はかなりずれているけれど、その動き方は私の中のかっこいい土方像とあまり矛盾していなかった。地元でくすぶっている頃は狂気を抱えた泥臭い無法者なのだが、刀を手に入れ上洛して以降は見事な立ち回りで、気づけばこんな土方もかっこいいなと思わされていた。土方びいきの欲目もあるかもしれないが。

こんなエキセントリックな人物設定なのに史実通りに事が進んでいくというのが面白く、この土方ならあの人物やあの事件はどう描かれるだろう、どんな最期を迎えるのだろうと楽しみに読み進められた。ある理由で土方につきまとう女性・涼(創作の人物)との奇妙な関係性もよかったと思う。

終盤は土方の狂気に時代が追いつき追い越してしまったように感じた。最期は圧巻の死に様、素敵でした。

 

長さの割にはスイスイと読めたが、長さを感じなかった!とまでは言えないくらい。 全編土方の一人称視点で進むのだが、ひとり語りが冗長に感じる部分もいくらかあった。また、章ごとに時間が飛んで合間の回想を挟むという進み方で、年号で整理もされないので、時系列が混乱しやすいように思う。幕末や新撰組が特に好きでもない人は年表片手の方がいいかもしれない。

 

 他作品とのつながり

創作の人物で涼の他に怪しげな僧侶がいるのだが、この僧侶の宗派がどうやら京極夏彦の『ヒトでなし 金剛界の章』に出てくるものらしい。『ヒトごろし』は『ヒトでなし』の前段的位置づけなんだとか。こちらは未読なのでそのうち読んでみたい。

風の海 迷宮の岸/小野不由美 いとけない少年は責務を果たせるか

(ぼくは人ではない)

麒麟であるということの確信。

(本当に、人ではなかったんだ……) 

 

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あらすじ・紹介

 十二の国からなるこちらの世界では、神獣・麒麟が天命を受けて王を選ぶ。十二国のひとつ、戴国の麒麟である戴麒は生まれる前に〈触〉という天災によって蓬莱(日本)へと流され、人の子として生まれ育った。十年を経て故国へ帰還したものの、自分が麒麟であるということが飲み込めず、こちらの世界のこともわからないことだらけ。麒麟らしい振る舞いができず戴麒は思い悩む。しかし、王たる者を選ぶ時が刻々と迫っていた。幼い麒麟は、我こそはと名乗りを上げる者たちから正しい王を選び出すことができるのか。

序章『魔性の子』の謎に迫る作品。十二国記のエピソード2。

 

感想など

今回は麒麟と王の選定にまつわるお話。人の子として育てられた戴麒が麒麟らしさを取り戻し、王を選ぶまでの奮闘が描かれる。登場人物に出来た人が多く、重くて辛かった前作に比べると全体的に穏やかで優しい雰囲気の物語になっている。

とにかく戴麒がかわいい。素直で一生懸命で、世話役の女仙と一緒に応援したくなる。戴麒は蓬莱では人の子と違っていたことから家族や周囲から疎まれ、自己肯定感が低くなってしまっていて、こちらにやってきてからも麒麟らしいことが何もできない自分を責めてしまう。ゆっくりのびのび育ててあげたいところだけれど、麒麟のお役目は待ってくれない。境遇に戸惑いながらもなんとか周囲の期待に応えようと頑張る姿が愛らしく切ない。

本作では麒麟というのがどんな生き物なのか、どのように育って巣立つのか詳しく描かれている。この先シリーズに出てくる麒麟たちも皆こうして生まれたのだ。前作でも登場した景国の麒麟・景麒と戴麒の交流は微笑ましく興味深かった。麒麟は慈悲深い生き物であり、景麒もちゃんと優しさを持っているのだけれど、やっぱり表現が下手すぎる。女仙は景麒を育てるときにもっと慈愛の表し方を教えておくべきだったのでは。ここで身に着け始めた優しさ表現が仇になるというのが皮肉でつらい。

戴麒は無事に麒麟としての能力を開花させ、物語はあたかも未来が開けたように幕を閉じる。彼らがここからいったいどんな国を作り上げていくのかと期待させる。しかしこの先待ち受ける未来が決して明るいばかりでないことは『魔性の子』を読めば明らかで、『月の影 影の海』でも示唆されている。戴国の物語はエピソード8『黄昏の岸 暁の天』、そして最新作『白銀の墟 玄の月』へと続く。

きみはポラリス/三浦しをん 苦手な人にこそ勧めたい恋愛短編集

言葉で明確に定義できるものでも、形としてこれがそうだと示せるものでもないのに、ひとは生まれながらにして恋を恋だと知っている。

 

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あらすじ・紹介

誰かが誰かに向ける強い想い。誰かの存在が、人生を導く星となること。恋愛とひとくくりに表現するにはあまりに多様な心模様を描いた11編。恋人たちの愛、夫婦の愛、過去の恋と今の恋、同性愛、禁断の愛、亡くなった人への思慕、たった一度きり会った人への想い。かわいらしく微笑ましいもの、切なくて苦しいもの、一抹の狂気を感じさせるもの。心の琴線に触れるものがきっとある。

 

感想など

 どんなジャンルの本かと言われれば「恋愛小説の短編集」だけれど、コテコテのいわゆるラブストーリーではまったくない。こんな関係も恋愛って呼んでいいのか、と思わせるものもある。わたしは恋愛ものはどちらかというと苦手なのだが、この短編集は好きだ。登場人物が恋をしていてもそればかりに拘泥せず、自分の人生を生きているのが良いのだと思う。惚れた腫れたのゴタゴタや恋の駆け引き、甘々ラブラブ、そういうのを求めている人にはおすすめしません。

『きみはポラリス』というタイトルが秀逸。ポラリス北極星、旅人の指針になる星。夜空に輝く星をみて歩く方向を決めるように、特別な「きみ」の存在を胸に人生を進んでいく。こんな恋って素敵かもと素直に思わせてくれるこの短編集の魅力をよく表していると思う。

こんな関係いいなあと思うのは『森を歩く』と『優雅な生活』。こんな風に思ったことを素直に口にしたり、たまに怒ったり、馬鹿やったりしながら楽しく暮らせる相手がいい。捨松も俊明も経済的には不安定だけれど、そういう男にしか出せない魅力なのか?どうかこのままで安定してほしい。『春太の毎日』も素敵。この作品集で一番男前なのはもしかしたら春太かもしれない。

『骨片』は、亡くなった恩師の骨を隠し持つ女性の話。親族でもなく恋人ですらない人の遺骨を勝手に手に入れてもてあそぶというのは若干引いてしまうけれど、心境には共感できるものがあって面白かった。『冬の一等星』は、子どもの頃にたった一度会った人との思い出。これって恋愛か?と思うけれど雰囲気が好き。どちらももう二度と会えない人の存在が人生を照らしてくれる、まさに「きみはポラリス」な話だったと思う。

唯一好きになれないのが『ペーパークラフト』。理由は不倫ものだから。私はどうも不倫が嫌いで、不倫している登場人物がいると「こいつは悪」という色眼鏡を外すことができない。その上にどんなお涙頂戴設定を盛られようと、切々とモノローグを語られようと、最終的に不幸になれとしか思わなくなってしまう。今回の里子は悪びれもしないからなおさらだ。人生もっと経験を積んでいったらもう少し寛容になって、フィクションくらい楽しめるようになるだろうか?